大学院に進学させられて”博士”になることを強要される無意味さについて

大学院大学

 

先月の朝日新聞に『変わりゆく「博士」事情』という、実に興味深い記事がありました。

持っているのが名誉だった博士号というものは、今では「足の裏の米粒」に例えられるとのこと。

今回は僕の実体験も踏まえ、大学院に進学させられて”博士”になることを強要されることがどれほど無意味か、ということについての話です。

 

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大学院に進学させられて”博士”になることを強要される無意味さについて

1990年代から始まった「大学院重点化」政策で、博士課程の進学者が急増しました。

アキラッチョの母校でも、大学を卒業してから関連病院で3年間の研修医生活を送り、その後は大学院に強制的に進学させられるという流れがありました。

当時はそれが当たり前になっていたので、僕もなーんの疑問を持たずにその流れにのってしまったのです。

でも、大学院進学が自分にとってどれだけ無意味かってことに、進学してみて初めて気づいたのです・・・。

 

まず、地方の大学で行う研究は、お金やマンパワーの面で圧倒的に不利だということを知りました。

僕が携わることになった研究テーマも、日本最高学府・東大では僕より圧倒的に優秀でモチベーションの高い研究者が、何倍もの研究資金とマンパワーで昼夜を問わずガンガンに進めているのです。

僕がたった一人で砂漠の中を一歩ずつ歩くのに対して、東大軍団(?)はランドクルーザーに7人で乗って一気にオアシスまで走り去る!といったイメージです。

まあ普通に考えても、僕のやる研究って意味ないですよね。

 

もう一つはアルバイト地獄です。

たくさんある大学の関連病院の外来診療や当直の(あまり割の良くない)アルバイトを、大学院生たちでこなさなければなりません。

もちろん大学院生って無給なのでアルバイトをしないと生活できない(大学院の授業料も払えない)のですが、そもそも別に行きたくもない大学院生活を送るために関連病院のアルバイトをこなさなければならないって・・・なんか二重に僕たちのことを利用していないか?って疑問に感じるようになったのです。

「大学院大学」っていう名前の大学としての”格”を維持するために、研修を終えた若い先生たちを強制的に大学院へ進学させ、その大量に生まれた大学院生を使って関連病院のアルバイトを回すという悪しきサイクル(笑)

中には一週間くらい転々とジプシーのようなアルバイト生活を強要され、研究するのは週末の数時間だけといった大学院生もいました。

そのジプシーのような生活が原因で、実際に家庭が崩壊した人もいます

 

こんなくだらない時間を何年も過ごし、やっとのことで「修士」や「博士」になるって、いったいなんの意味があるのか?ということを強く思うようになった僕は、実質たったの2週間で大学院から去る決断をしました

いや〜、我ながら本当にいい決断をしたなって、今でも感心しています ^ ^

 

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持っているのが名誉だった博士号というものは、今では「足の裏の米粒」に例えられる。

これはどういう意味かというと、「博士号は取らないと気持ち悪いが、取っても食べられない」という意味だそうです。

かなり的を得た表現ですね(笑)

 

「大学院重点化」政策によって博士課程の進学者が急増したにも関わらず、その修了者の数に見合うだけの研究職ポスト(大学教員など)なんて、誰が考えても足りないに決まってますよね、ホント。

しかも企業での採用もそれほど増えなかったということで、せっかく博士号を取ったのに見合った仕事がないという人たちがあふれかえっています。

医療職の人間であれば、(僕のように)どんなに能力が低くても免許さえあればすぐに仕事は見つかります。

しかし「博士」というどーでもいい称号を手に入れるために費やした数年間という時間は戻ってきません。

 

なんの役に立っているかわからないようなニッチな研究に大切な自分の時間とお金を浪費するよりも、僕自身は「自分がしたい仕事」に同じだけのお金と時間を投資する方が100倍くらい価値があると考えています。

でも「博士」になりたい人は、頑張ってなってくれたらいいと思います。

一番言いたいことは、訳のわからない強要を受け入れる必要はないってことです。

自分の人生なので、他人にどうこう言われる筋合いは全くありませんから(マジで)。

僕はこれからも、このブログのテーマでもある『やり直せ!そして楽しめ!マイ人生↑』をモットーに、自分自身の人生をのんびり楽しく歩んでいこうと思います ^ ^

自分の望まない大学院生活なんかで無駄に消耗しないように気をつけましょう♪

 

それではまた!

 

決意